ポケットの中にはカセットテープだけ

テープが切れるまで、好きなことを好きなだけ書き綴っていければと思ってます。

春日部ハルの今日も明日も明後日も私だから!!という考えについて

春日部ハルはエピソード3.5で、上記の台詞を言います。
一見ありふれた言葉のように思えますが、この台詞が一番春日部ハルを象徴しており、春日部ハルが春日部ハルでいられる存在証明の台詞のような気がします。


エピソード「ノッキン・オン・セブンス・ドア」を読んだ事がある人ならご存知とは思いますが、春日部ハルは過去アイドルをしていました。
アイドルを元からknew=知っていたハル。
そこからドアをknockして再びアイドルになる。
言うなれば、彼女の復興の物語でした。

そこから彼女はアイドルになり、人々に笑顔を与える為に今日も明日も明後日もアイドル春日部ハルであることを強いります。

普通の人なら重荷に耐えきれなくなって
ぺしゃんこになってしまうかもしれません。
ましてや、過去の出来事は良い思い出とは言いがたいです。
それでも、彼女は過去の出来事を否定せず、
あんな事があったねぇ…と笑い話にせず、過去と今を繋いで一歩ずつ歩いて来たんです。
それは、エピソード3.5のシズカの物語でも触れられています。


ここで勘違いして欲しくないのが、自分の過去に同情したからシズカに手を伸ばしたのではなく、ただ純粋に手を伸ばしたいから伸ばした。

4Uエピソードでも、九条ウメという目の前の女の子を笑顔にしたいから。
ただそれだけの為に、ずっと手を伸ばし続けたのです。


たとえ、彼女が過去にアイドルをしていなかったとしてもこの事実は決して変わらない。

俯いてる人がいれば、誰にでも手を伸ばす。
それが彼女なのです。

バレンタインのエピソードで、ハルはこんな事を言っています。

これから鑑みるに、彼女は「想い」に純情です。
思い返してみれば、彼女は自分の意見を心に溜めたり我慢する事はあまりありません。
彼女は、ダイレクトに想いをぶつけて人を変えさせてきました。
それが彼女の利点であり、欠点であると私は考えるのです。

彼女は、皆んなを笑顔にする為にアイドルになり、ステージに立ち、手を伸ばし続けて来ました。
はたして彼女は、その皆んなの中に「自分」は入っているのでしょうか?


彼女の「今日も明日も明後日も私だから!」
という考え。
これは春日部ハルである理由なのと同時に、鎖なのではないかな…と。
春日部ハルは、皆んなの為に
ずっと皆んなの笑顔の為に手を伸ばし続け来ました。
彼女自身それを重みに感じたことはないと思います。
ですが、彼女はこの台詞を言い続け、誰よりもアイドルらしくなってしまった。
それが悪いとは言いません。
彼女の行動はヒロイック的です。
領事的でもあり、美しいです。
自分ではない、誰かの為に、背中を押す。

ですが、私は「自分」も勘定に入れて欲しい。
自分が傷付いてまで背中を押すのは素晴らしい事です。
これは個人的見解ですが、
自分が幸せでなければ相手も幸せにする事が出来ないと思うのです。

ハルのやって来た事を否定するつもりは毛頭ありません。
ハルは立派です。
過去を振り払うこと無く、一歩、一歩歩いて来ました。
それ故の春日部ハルは「今日も明日も明後日も私だから」と言い続けるのです。


この言葉は願いであり、あの日叶わなかった夢の続きであり、そして呪いでもあると思うのです。
彼女は強い子です。ちょっとやそっとじゃへこたれることはないと思いますが、
自身に春日部ハルである事を、ずっと強いていれば、いつかは壊れてしまいます。

だからこその「いつか消えていくヒカリ」なのかもしれません。

だとしても、私は彼女に幸せになって欲しい。

この言葉が、言葉通りに執行されて、呪いとなって彼女に降り掛かる。
そんな事は絶対あっちゃいけないんです。
願いと呪いは表裏一体とは言います。
言いますが!彼女は、ただ純粋に誰かの為に行動していただけなのです。

誰かを、幸せにした分必ず返ってくる。
そう、信じたいです。

春日部ハルが春日部ハルであればあるほど、
きっと彼女はこれから苦しむ事になるでしょう。
「今日も明日も明後日も私だから!!」
この言葉は、それを早めているのと同時に
過去の春日部ハルの誓いでもあると思うのです。

彼女が彼女である以上、この誓いは消えないと思います。
何より、本人がそれを嫌がる。

だから、私は何も出来ない。
無力です。


それでも私は、皆んなの中にハル自身も入っていて欲しい。
呪いなんかで終わって欲しくない、です。

私に出来る事は、彼女のこの言葉を護って、ずっと「誓い」でいられるよう、
呪いに終わってしまわぬように
護っていくことだけです。